CLM084 スポーツに体罰はくだらん


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最近は体罰問題をよく目にします。これは自分自身にとっても振り返る意味でとても良い機会なので何度でも自分の意見を述べて行きます。ちょっと以下の記事に違和感を感じたので自分の意見をメモしておきます。

殴られることが、罵られることが、自分の技量であったりチーム力の向上に確実につながるというのであれば、どうぞ殴ってください、罵ってください。勝ちたくて、強くなりたくてどうしようもない自分にさらなる力を与えてくれるなら、ビンタだろうがグーだろうが言葉の暴力だろうが、どうぞどうぞ。メッシやコービー・ブライアントやタイガー・ウッズも過酷な体罰に耐えたからこそいまがあるっていうんなら、わたしは体罰を認めます。愛情なんかなくたっていい。うまくなれるなら。勝てるなら。ハハッ。迷っています。スポーツではなく武道だった柔道にも、完全なるスポーツの論理を持ち込んでいいものなのか?

こういうことをスポーツライターの方が述べています。全体の言わんとすることをわかりやすくするために意訳しながら書いているのはもちろん理解しています。しかし、スポーツをしている人全てがメッシやコービー・ブライアントやタイガー・ウッズになりたいと明確に思っているわけでないないですから私は少し不快な気分になりました。部活でスポーツや武道を始めたのであれば自分を変えたくて始める場合もあるだろうし、単に誘われて、つきあいで始めた人もいるでしょう。その中でも私は自分自身を変えたいという意志でラグビー部の門をたたきました。

私は高校時代に上下関係の世界で生きてきてその中でパワハラやいじめに近いことをうけたりしてきたことも事実だと思います。それでもその経験が社会に出てどれだけ役に立つことになったかは計り知れません。本当に先輩や仲間に感謝しています。そしてラグビー精神のone for all all for oneという言葉がとても大好きです。

もう一度言っておきます。体罰を私は肯定はしていません。しかし10代の大切な時期には1発2発のビンタ程度なら時には必要な場合もあるのかも知れないということを言いたいだけです。今回の事件のようなものは体罰を通り越して暴力以外なにものでもありません。

体罰をしたくてする教師はいないと信じています。体罰はくだらんと私も思います。しかし、そのくだらんことをやらせる方にも意味が込められているはず。それが相互にわかっている関係はよいのではないかと思っています。何でいま走らされたのか。なんで今罰ゲームをさせられたのかを考える必要もあるのではないかと思うのです。

体罰をくらったときは本当にくだらねえなと思ってました。しかしやはりこんなことをされても仕方ない不甲斐ない俺だったなとその時も思ったものです。

とにかく体罰でなくあきらかに暴力がが恒常的に行われていればこれは即刻問題です。大問題です。これは何度でも言います。一人の人間が死に追い込まれるまでの行為は決して許してはなりません。そして、友人たちの今一度考えて欲しいのです。手をさしのべることができなかったのかと。

鍼灸師ですが、いつかはラグビーに恩返しをしたい。そう考えている以上さけては通れない問題です。

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